旅情詩人・川瀬巴水とは?
SONPO美術館の展示で拝見してきた展示でメモしてきたこと、まとめました。

川瀬巴水(かわせ はすい)
【川瀬 巴水(かわせ はすい)】
1883年 – 1957年
東京出身。
日本の大正・昭和期の浮世絵師、版画家
本名は 川瀬 文治郎(かわせ ぶんじろう)
日本中を旅し、そのスケッチをもとに
日本の原風景を美しく表現した「旅情詩人」「旅の版画家」と呼ばれる。
近代風景版画の第一人者。
アメリカの鑑定家ロバート・ミューラーの紹介によって欧米で広く知られ、
国内よりも海外での評価が高く、浮世絵師の葛飾北斎・歌川広重等と並ぶ人気作家。
巴水の印章

中央の「川瀬印」は、ほとんどの巴水作品に押印された。
1923年(大正3年)以降、なくなるまで使用したといわれる。
「川瀬印」右の「半雅堂印」2個は、内筆画(↓で解説)に押されたもの。
一番左は、朝鮮シリーズに押印。
《肉筆画》とは…?
浮世絵版画と区別するため、浮世絵師が筆を用いて自ら描く「肉筆画」と呼んだ。屏風絵、絵巻、画帖、掛物絵、扇絵、絵馬に分けられる。 浮世絵版画の下絵や原画では無く、また版画の上に筆で彩色した絵でも無い。
一般的な絵画と同じく世界に1枚しかない1点物であり、高価な美術品である。
《肉筆画》とは…?
浮世絵師が筆を用いて自ら描く「肉筆画」と呼んだ。一般的な絵画と同じく世界に1枚しかない1点物であり、庶民には手の届かない高価な美術品である。
川瀬巴水が新版画を始めるまで
10代から画家を志し、14歳で日本画を学ぶ
↓
19歳 荒木寛友に日本画を学ぶが、両親の反対にあい2年でやめる
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家業を継ぐ
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25歳 妹夫婦に任せ、日本画画家を目指すが年齢的に難色を示され洋画を勧められる
↓…洋画を学ぶが馴染めず
27歳 再び日本画画家を目指す
29歳 師の日本画家・鏑木清方(美人画が得意)から「巴水」の画号をもらい日本画画家に
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35歳 郷土会第四回展に出品された同門・伊東深水の渡辺版画店木版画「近江八景」に感銘を受け版画に興味を持つ
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栃木県塩原を描いた風景版画3点を制作
渡辺版画店の【渡邊庄三郎】は巴水に新版画の風景画を委ねるようになる
※新版画…明治に入り衰退した浮世絵の近代化と復興をめざしたもの
その後、版元の渡邊庄三郎と巴水は
「親しい」を超えた家族のような関係となってゆく。
巴水と版元・庄三郎のエピソード
1920年12月雪の日。ふたり歩いていたところ、
巴水が立ち止まり写生を始める。
庄三郎は、ただただ黙って傘を差しかけていたという。
1923年9月、関東大震災で、巴水の自宅が全焼。
写生も画業の成果も一切が灰となる。
絶望の中、庄三郎は、巴水を102日間の旅(過去最長)へと送り出す。
震災の危機から脱するため
庄三郎は、作品を購買者の好みを優先にすることを提案。
色数を増やし、明るさや鮮やかさのある作品となる。
海外にも輸出され、評価を得てゆく。
1930年以降、巴水の評価は高まっていった。
巴水の旅した日本の観光地
会場で撮影可能だったので、撮影してきました。
備忘録として添付しておきます。
作品を見ていると、とてもワクワクするのは
日本の代表的な観光地がたくさんでてくるという理由もあるのかもです。




